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B5661
Sơn
Hải
Kinh, Biên soạn:
Lương
Siên, Tranh: Sam Trạch, Người
dịch:
An Lạc
Group, NXB Kim Đồng,
2022;
「山海経」。イラスト版のソン
ハイ
キンは新鮮で印象的で、ソン
ハイ
キンの文化的記憶を再現している。本書では南海経、西海経、北海経、東海経、中海経、の6巻に分け
カラーイラスト、豊富な内容、読みやすくわかりやすいSON Hai Kinh版。
山の海を眺め、神のペンを片付け、古代の文章の一つ一つが作者の心に無限の空想空間を開き、燃えるような予感が即座にペンを通して記録されます。
東洋水墨画の画期的なスタイルで、文章は壮大で自由な想像力に変換され、簡潔な逐語的で正確な解釈と相まって、魔法のような神話の世界が目の前に再現され、多くは、秦王朝以前の中国の地理、文化、神話に関する寓話を記録し、100種類以上の奇妙な動物を集めており、それを楽しむことができる。この山海経、もともと絵を含んでいたもののその後絵は失われ、文章のみが残った。人々は絵を描くためにテキストに頼るようになったものの、イラストの質は良くなかった。本書は芸術的価値と豊かな想像力に富んだ奇妙な動物の美しい東洋水墨画のセットを集めた。単にイラスト写真集であるだけでなく、内容を徹底的に解説したものでもある。165x225o,
423pp, HC (DJ),
ヴェトナム語
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期間: 終
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カバー写真 |
商品No. |
タイトル、著者、発行者(年)、内容など |
価格(税込み) |
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D1656 |
L'Armée
de l’Air en Indochine (Transport et Bombardement 1945-1954, Volume 1),
Alain Crosnier & Jean-Michel Guhl, SUP AIR Publications, FRANCE 1981;
タイトルは英語で”French
Air Force in Indochina Transport and Bombardment”とも。すなわち「インドシナにおける空軍:輸送と砲撃
194-5-1954」。
戦争の歴史、輸送の航空(E.M.E.O.
次に
G.M.T.E.O [注:極東運転中隊、次に極東輸送運転隊]、ANJOU
1946年6月〜1955年6月,
BÉARN[注;Béarnは第2次大戦、それ以降使用されたフランス空母の名前]、TONKIN
1947年10月〜1948年7月 [注:このTonkinは3番目の輸送隊の名称]、FRANCHE-COMTÉ
1949年8月〜1955年11月[注:フランシェ・コンテは元々はフランス東部の地域名、本書では別の輸送隊の名称]、C-119分遣隊
1953年5月〜1954年8月[注:C-119はPacketパケットの愛称を持つ貨物輸送機]、SÉNÉGAL
1954年1月〜1955年6月[注:セネガルは西アフリカの国名だが、ここでは1952年9月に結成された輸送部隊の名称で同年11月部隊はその航空機を持たずサイゴンに到着]、に分類。次いで爆撃機(Gascogne
1951年1月〜1955年11月[注:仏プロバンス地方の名前だが、ここでは戦闘機中隊の名称]、Armagnac
1951年11月〜1955年8月[注:アルマニャックはガスコーニュ地方にあるブランデー生産で名高い地方名だが、ここでは偵察飛行小隊の名称]、TUNISIE
1952年1月〜1955年8月[注:西アフリカの国名だが、ここではボルドー=メリニャック空港を拠点とする長距離の輸送部隊の名称]、BOURGOGNE
1954年6月〜1954年11月[注:これもワインで有名なフランスの地名だが、ここではディエンビエンフー陥落後の中部トゥレーヌで米空軍からのダグラスB-26を配備した戦闘部隊だったが、公式にフランス空軍の所属機とされた記録は残っていない]に分けて記載。
全体を通して多数の白黒写真あり。写真は総数90以上、それに航空機の機体やインシグニアのカラーイラストが合計6ページに、それに地図や表も。
295x210o,
58pp, SC,
フランス語(写真キャプションは英語でも)。非常にレアなタイトルで、本書はVol.1だが、Vol.2以降があるのかどうか確認できない。
USED
表紙右下隅に小さな折れ、右上隅近くには軽度な折れ筋あり。内表紙には前の所有者(仏人?)のラベル、裏表紙内側の印刷のないページに販売店(航空専門書店)のラベルあり.中pp.42-43の見開きの両ページには2行に渡り黄色マーカーの線、写真中にマーカーがあることを除けば総じて綺麗である。 |
5,850 |
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D1645 |
L’Aéronavale Américaine au Vietnam (Champs de Bataille
Thématique No.24), Net4War, FRANCE 2012;
「ベトナムのアメリカ海軍航空隊」。雑誌Le
Tonkin Gulf Yacht Club, Mission de combat sur Skyhawk (Monographie: Le
Douglas A-4 Skyhawk),
すなわち、雑誌「テーマ別の戦場」のシリーズNo.24(2012年1月号)。
テーマはトンキン・ガルフ・ヨット・クラブ、スカイホークの戦闘ミッション。写真を多数掲載して解説。海軍が戦争へ(最前線の米海軍)。トンキン・ガルフ・ヨット・クラブ(任務に係る太平洋艦隊)、最初の空対空の戦闘(MiGが出現)、モノグラフ(ダグラスA-4スカイホーク:天才的航空機の誕生、技術的研究、スカイホークの武装、A-4Eのコックピット、計器コンソール、A-4の機動性、ESCAPAC
1A-1員ジェクト・シート、A-4スカイホークの船上ミッション)。この雑誌全体が特集となっており、関係のない他の記事はない。
230x300o,
97pp, SC,
フランス語。 |
2,990 |
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D1641 |
Snapshots from the Vietnam War,
Richard Udden, Richard Udden, USA 2018;
「ベトナム戦争からのスナップショット」。カバー上端に記載されているように筆者の歩兵としての旅から捕らえた瞬間。筆者は他に”21
Months, 24 Days”を著している。
筆者が1970年にベトナムで、コダックのインスタマチック・カメラを使用して写した写真に、最近になって記憶を呼び戻しキャプションを付けて本の発行にこぎつけた。全体が写真とそのキャプションだが、分類として前書き、標識、火力基地、航空機、飛行、ジャングル、休息時間、町と村、人々、帰還に分けている。
写真は全てカラーで、ページに1点か2点、総数約180。205x255o、129pp,
SC,
英語 |
4,990 |
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D1640 |
The Psychological War for Vietnam, 1960-1968,
Mervyn Edwin Roberts III, University Press of Kansas, USA 2018;
「ベトナムの心理戦争、1960-1968」。本書はアメリカの歴史の中で最も長期間続き、集中的に行われた心理作戦について探求したものである。心理作戦では米軍関係者は敵側の個人や集団が米国側の目的に有利なように行動するよう導くためにオーディオやヴィジュアルのメッセージを主とした色々な戦術が使われた...。
離反の精神を刺激する、冷戦の発展、アメリカの「特殊戦争」:1960-1962、仏教徒危機とクーデター:1963年春〜秋、ハードなものだけが待ち受けている:1964、組織の問題:1964年秋〜1965年冬、拡張:1965年春と夏、洗練され拡張されたターゲット:1965年秋、第2共和制が押し寄せる:1966年春と夏、産みの苦しみ:1966年秋〜1967年5月、測定硬貨:1967年6月から秋、第4心理作戦部隊とテト攻勢:1967年秋、の10に分けて記載を進めている。
その後に、結論、メモ、文献(12pp)。最初に略語一覧。地図17、図7、写真26。宣伝戦なので関連部隊、手段としての伝単、ラジオ、TV、ラウドスピーカーの作戦にまつわる地図、写真が多い。
165x240o,
411pp (厚さ37o),
C(DJ),
英語 |
4,270 |
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D1624 |
“Lu Doan 468”: The Fourth Brigade of
Vietnamese Marines, Compiled by Gerald W. Flinchum, USA 2018;
「第468旅団」:ベトナム海兵隊の第4旅団。筆者は陸軍で1971-72年に南ベトナムでの軍務についている。最近は大学で南北戦争やベトナム戦争初期の歴史のコースを教えている。
序文、海兵隊師団TQLC、1975年の状況、ハイヴァン峠、第18海兵隊大隊の運命、崩壊と退避、ブンタウでの再編、第3軍区での戦闘、サイゴン防御、記録とソース、付録A,
B, C、海兵隊インシグニア、トアン少佐、筆者について、要約という項目を作って進めている。写真は全て白黒で29、他にインシグニアのものが45、地図4。
215x280o,
48pp, SC,
英語
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2,410 |
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D1606 |
Filipinos in the U.S. Navy & Coast Guard
During the Vietnam War, Ray L. Burdeos, Anthorhouse, USA
2008;
「ベトナム戦争中の米海軍と沿岸警備隊のフィリピン人」。筆者らフィリピン人の新兵たちは誰も米国入国のためのパスポートを持たず、在住ビザもなかったので「法的に米国永住権を認められていない」という資格でサンフランシスコのフォートメイソンに上陸、ベトナム戦争中はアンクル・サムのために任務に就いた...。
米国での私たちの冒険、フィリピン[注:
その歴史などを紹介]、その後は、現在は全て退役しているが海軍、沿岸警備隊で任務に就いた各6人、計12人がそれぞれの話を綴る。戦時の若干の写真、あるいはその後の写真を示している。正装でビジッと決めたもの、任務についてポーズを取ったもの、あるいは戦後に家族との写真、船舶…写真は全て白黒で合計約65点。
150x230o,
172pp, SC,
英語 |
2,895 |
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D1605 |
Dusterman Vietnam
(Story of the Last Great Gunfighters), Joseph M. Belardo,
Sr., USA 2010;
「ダスターマン、ベトナム(最後の偉大なガンファイターの話)」で、筆者のベトナム日記や記憶から綴ったもの。開いたままの砲塔でツインマシンガンの大砲は、小さな改造ウォーカー・ブルドッグ戦車の砲座に再取り付けされで「ダスター」と改名された、とあるのでその乗組員をダスターマンと呼んでいるのであろう。但し、一般的に広く通じる語とは言い難いようだ。
アンクル・サムが君を欲しがっている、ダスター・ガンファイター、失われた無垢、本当に生きるためにはほとんど死ななければならない、そして地獄が呼びにきた、命取りの12月、1月はテトを意味する、全ての戦いの母、ドンハからの救出、回想、G.I.ジョーが転がっていく、ケサンへの救援、ケサンを見捨てる、ショート・タイマーが故郷へ、の全15章からなる。写真(白黒)はそれぞれの章の終わりにまとめてあるので、全体では写真のみで約95頁になる。
220x280o,
277pp, SC,
英語 |
5,830 |
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D1600 |
The Vietnam War: The Definitive
Illustrated History, Smithonian, DK
Publishing, USA 2017; 「ベトナム戦争:写真史決定版」で(世界最大の博物館としてお馴染みの)スミソニアンの編集による。「自由への道作戦」[注:
1954-55年に北側から南へ逃れるベトナム人と仏人を支援した米海軍の作戦名]からサイゴンの米大使館の撤退までを、当時現地にて目撃し、体験した人々の話を添えて、戦争の各段階での出来事を多数の写真と共に細かく解説した。
背景(1959年3月以前)、ベトナムに引き込まれたアメリカ(1959年3月〜1964年12月)、アメリカが戦争へ(1965年1月〜1967年9月)、分岐点(1967年9月〜1968年12月)、ニクソンの戦争(1969年1月〜1971年12月)、イースター攻勢から米国撤退へ(1972年1月〜1973年1月)、大詰めと余波(1973年1月以降)、と時系列で7つに大きく区切って進めている。それぞれの章で最初にタイムラインを示し、見開きの両ページで1つのテーマを取り上げているところが多い。最後は、インドシナ21世紀へ、としてオバマ米大統領の訪越写真も。さらにアメリカ大衆文化の中の戦争として、ベトナム戦争映画、さらに戦場ツアーとしてベトナム各地の戦跡や博物館・モニュメントの場所を紹介している。
260x310o,
360pp, HC(DJ),
英語 |
5,290 |
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D1597 |
Nos Soldats d’Indochine,
Armée Française, FRANCE 1950; 「インドシナの我らの兵士達」というタイトルの小冊子で、冊子の中では発行社や発行年は見当たらないものの、一般的に1950年フランス軍による編集、発行とされている。
最初にインドシナ地図、対面ページは。フランスより12,000qのところに、と題して言葉や衣装のことなるラオス、カンボジア、ベトナム国がありフランス連合の兵士と共に反徒ベトミンと戦う...、とある。その兵士とは本国の兵士(フランス人)、植民地軍(アフリカ兵、北アフリカ兵)、連合軍(外人部隊)、それにインドシナ軍(ベトナム、ラオス、カンボジア兵)のように分類。多くはマルセイユ、あるいはオラン[注:
アルジェリア]を出発し地中海、スエズ運河、紅海、インド洋を経て2〜4週間で目的地であるサイゴン、ツーランあるいはハイフォンに到着する。
歩兵、装甲兵、砲兵、通信兵、降下兵、輜重兵ほかの各部隊を写真を載せて簡単に紹介。他にインドシナの人々などの写真により現地を紹介。
135x205o,
頁数記載なし(一般に16ppとされていることが多いようだが、表紙を除いて印刷されているページを全部数えると18頁),
SC,
フランス語。 USED
ホッチキス綴じだがホッチキスが錆びて欠落し、その結果中のページはルーズな状態だが欠落はなし。最初の方のページ上部に名前のペン書きあり。 |
6,230 |
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D1596 |
With ANZACS in Vietnam: A Photographic Record of 6RAR/NZ (ANZAC) Battalion
1969-70,
Rob Laurent, Blue Flyer Publishing, AUSTRALIA 2011;
「ベトナムでANZACSと共に(1969-70年ロイヤル・オーストラリア連隊/ニュージーランド軍(ANZAC)の写真記録)」。出版社のBlue
Flyerとはオーストラリアの草原に生息するアカカンガルー(英語でRed
Kangaloo)の意味で、本書表紙にあるRARのキャップ・バッジに入っている。一方NZ軍のバッジ中央には飛ばない鳥キウィが入っている。
本書では最初の目次の次に、写真家の一覧(すべてA/NZ)があり、それから各項目に入る:
故郷を出る、HMASシドニー、ヌイダット、大隊、階級の構造、正規兵と強制的軍事訓練[英語原題Regs
& Nashosは豪スラングでRegular
Servicemen & National Servicesの意味]、ニュージーランド兵、ロンタン十字章、フォクトゥイ(省)、地元民、敵、ブッシュマン・スカウト、南ベトナム軍、ヴンタウ、サイゴン、哨戒、再補給、接敵、損傷数、地雷原、火力支援、装甲、チョッパー、地雷除去、ホースシュー[注:ヌイダット東南にある死火山クレーターの跡]、最後、戦没者名簿、苦難の果ての結末、戦後の生活、の全29章。その後にレガシー、文献。
タイトルで「写真記録」とあるように写真が実に多く、その数はカラー400、白黒100(合計500)という。本に加え、表紙裏側にはDVDが付属。DVDには当時撮影の8oフィルム映像と"The
Green Soldier”の歌が入っている。(オーストラリアのDVDは一般的にPAL方式、Region
4ですが、本書付属のDVDについてはその部分は未確認です。) 215x305o,
200pp, HC,
英 |
16,740 |
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D1593 |
A Soldier’s View of the
Vietnam War (The Story of Victor 4 V Coy 6 RAR/NZ (ANZAC) Battalion,
written by Victor 4 Company, edited by Victor 4 Editorial Committee, The V4
Family Trust, NEW ZEALAND 2011;
「ベトナム戦争の兵士の印象(ロイヤル・オーストラリア連隊/ニュージーランド軍(ANZAC)第6大隊V中隊ヴィクター4小隊の記録)」。兵士が兵士の視点から軍事史を書くことは稀であるが、本書はそうした一冊である。更に詳しくは、1969-70年に6RAA/NZのV中隊のヴィクター4小隊に属していたニュージーランド軍の将兵が故郷より遠く離れたベトナムの地で体験した戦闘などの経験について多数の写真を掲載し語ったものである。
編集委員会からの注釈、前書き=Rhys
Jones少将、前書き=Quin
Rodda大尉、その後は第1章から26章まで:戦死者を追悼して[小隊からの戦死者7人=全員がニュウージーランドの将兵でロイヤル・ニュージーランド歩兵連隊6人、同工兵隊1人=の名前、年月日、内容、それに各人の履歴やベトナムでの状況を記載]、ニュージーランドのバーナム軍事キャンプ、マレーシアのテレンダク駐屯地、オーストラリアのタスク・フォースと敵軍、南ベトナムのニュージーランド軍、南ベトナムへの展開、ラヴァラック作戦、動くV4小隊本部、1小隊、2小隊、3小隊、地雷戦、南ベトナム軍との作戦、ベトナムにおけるV4の作戦の要約、ベトナムでの勇敢精神、ヌイダットの基地作戦、兵士達の話、R&R、白い衣服の天使=ニュージーランドのナースたち、364日とひと起き!、家族、我らの仲間にお別れ=タンギハンガ[注:マオリ族の儀式]、6
RAR/NZ(ANZAC)司令官デヴィッド・バトラー中佐の演説、V4レユニオン、枯葉剤、国家とその上級大将が謝罪。以上26章の後に6
RAR/NZ (ANZAC)大隊ヴィクター4小隊の公式名簿、用語。
写真は(4〜)6頁にまとめて5〜6ヶ所にある他にページ大のサイズから小さな顔写真までいろいろ掲載されており、その数は合計でカラーと白黒を合わせて332。215x305o,
335pp, HC(DJ),
英語 |
19,740 |
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D1589 |
Gunners Vietnam 67/68 (- The 106 Book),
Peregurine Publishing, AUSTRALIA 2016;
「ベトナムの砲手」で、”106
GD BTY RAA”、即ち106
Field Battery(オーストラリア軍の第106野戦砲兵中隊)の1967-68年のベトナムでの記録を多数の写真で紹介したもの。
森林からのスナップショット(1966年クィーンズラドのティンカン・ベイTin
Can Bay)、タートル・クレスト[第106野戦砲兵中隊のインシグニアにある亀]、第106中隊戦場へ(1967年3月〜1968年5月)、ロイヤル・オーストラリア連帯第7大隊第5中隊[同中隊の歩兵としてフォクトゥイ省で作戦に参加]、大砲[67年6月、第103野砲中隊が使い込んだL5パックハウザーを引き渡す]、M2A2が中隊へ[M2A2は105ミリりゅう弾砲]、我らの戦争画家Peter
KellyとBobby
Winnett、指令所、前線観測(106中隊のRAR第7大隊への帰属)、スォイチャウファの戦い(1967年8月6日)、REOS[注:
Reinforcement=増援の意味で他部隊より106中隊に一時的に移ってきた兵士のこと]、Super
8 Soldiers (Rowan MarshとPeter
Stainthorpsによる映画)、バンカーの戦い(1968年2月5〜7日9、衛生の問題、砲手のギャラリー、レユニオン、「帰らなかった500人」の詩の起源[メモリアル・ガーデンの銅製プラークに刻まれた詩を書いたのは106中隊の隊員]、といった見出しに分かれている。
写真は今回初めて公開されるものがカラーと白黒で(小さな顔写真は除いて)合計約160。カラーの割合が多く、ページ大のものも少なくない。265x235o,
100pp, SC,
英語 |
8,880 |
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D1584 |
Les Aviateurs Dans la Guerre d’Indochine 1945-1957 (Témoignages),
Jean-Pierre Simon, Préface du Géneral Pierre Péron, Éditions du Grenadier,
FRANCE 2016;
「インドシナ戦争1945-1957の飛行士たち(証言)」。序文はピエール・ペロン将軍。インドシナ戦争を戦った人たちの証言を集めたものだが、文字で綴るだけでなく写真も多く取り入れており、また元空軍に所属する兵士のみではなく、彼らを地上から支援した陸軍の兵士達も含まれている。
本書は、フランスの主権の問題、1947-1950、1951-1953
突然のこと、ディエンビエンフー
カストール作戦、戦いへ、戦闘!、ザップの2回目の攻勢、
破滅から地獄へ:ベトミンの死の収容所、他のいたる所で戦闘は続いている、結末、回想、付録、グルノーブル航空生の為の学校、の全13章。巻末には用語、ベトナム語小辞典、感謝、文献、67の証言[これは証言についての目次]、15のメダル受賞者プロフィール。中央付近に漫画や写真、それに部隊インシグニアを集めてのカラー写真のページが計XVI頁。それ以外は白黒写真だが合計150あり。
210x270o,
375pp, SC,
フランス語 |
7,860 |
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D1582 |
My Father's War In Vietnam And The Long
Shadow of The Hon Cong Mountain, Louis Edward Rosas, USA 2015; 「ベトナムでの私のお父さんの戦争、そしてホンコン山の長い影」。
ベトナムでトリガーを引く男には彼を支える9人の男がいるとされるが、これは1965-66年南ベトナムのアンケのキャンプ・ラドクリフでの私の父である故Louis
Rosas-Luca(1941-2014)と米陸軍第1騎兵航空機動師団/第15輸送隊デルタ中隊で彼を支えた人々の話である..。ホンコン山は彼らのベースキャンプを見渡す山である。
筆者のお父さんはメキシコからの移民でベトナム以前は戦争映画や軍用機に凝っていた。また写真を趣味としており、本書掲載の写真は合計で450近いが、そのほとんどは彼自身によるもの、とのこと。ホンコン山、キャンプ、隊員、住民、UFOショー、...。目次もなく章分けもされていないが、時系列にちょっとした見出しを付けており写真を追うだけで筆者のお父さんのベトナム時代が見えてくる。150x225o,
278pp, SC,
英語 |
5,400 |
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D1573 |
Marines in Vietnam (G.I. The Illustrated History of the American Soldier,
His Uniform and His Equipment), Christopher J. Anderson, Pen & Sword Books,
UK 2016;
「ベトナムにおける海兵隊」、GIシリーズの1冊で初版は2002年で、2016年版は表紙デザインを変えて出版された。また、2002年版に比べるとやや背が低くなっている。内容は同じ、ページ数も同じ。190x245㎜,
72pp, SC,
英語 |
2,420 |
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D1555 |
猛虎 1967,
普國文化社,
KOREA 19??; 「猛虎
1967」で、ベトナム戦争における韓国首都師団(通称「猛虎師団」)の1967年の記録、記念アルバム!最初に部隊略史、朴正煕大統領写真から国防部や中越韓国軍司令官など部隊の参謀から将校の写真、各部署と部隊(中隊あたりまで)隊員が揃っての写真、ベトナム上陸以降、朴大統領閣下の猛虎訪問、ベトナム国家元首[注:当時はグエン・ヴァン・ティエウ大統領]がTAC
CP[注:戦術指令所]視察、テコンドー外交、士気、福祉、情報、教育、訓練、ベトコンの罠、避難民の移動と保護、ホンキルドン作戦[注:ベトナム戦争での韓国軍の最大で最高の成果をあげたとされる作戦]のスナップ、軍需支援100%可能、兵站、対民支援、姉妹関係結縁、対民診療、猛虎砲兵206部隊、第1連隊、機甲連隊、第26連隊、恵山鎮部隊、軍需支援団と第6後送病院、支援活動、代表的な熱帯植物、農村、祠堂、(地方の)名物たち、市場、アオザイ、ベトナム政府軍、クィニョン市、人間天然記念物(モンタグナード族)、サイゴンの風景、サイゴンの休日、動物園、サイゴン夜景、といった見出しとともに、猛虎師団のこの一年、各部隊の隊員とその諸活動、ベトナム駐留地を写真で紹介。最後に百戦百勝の猛虎インシグニアと寄せ書きがあり、編集後記。他の韓国軍のベトナム戦争記録書が部隊隊員を集めての写真が多いのに比べると、本書は様々な活動からベトナムという国に至るまで広範囲について紹介している。カバーで吠える虎、そして金色「猛虎」の文字が目立つ。355x260o,
ページ数記載なし(数えると120pp強),
HC(紐綴じ),
韓国語。 USED
一般的な経年古さはあるがごく軽微で、全体に良好な保存状態。 |
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42,330 |
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